『すずめの戸締まり』の感想。トラウマと向き合う物語

すずめの戸締まり』を鑑賞してとても感動しました。

エンドロールの間も涙が止まらなくて、早く泣き止まなきゃと焦るほどに。

そんな『すずめの戸締まり』を見て思ったことがあります。

まず話の軸は鈴芽と草太のラブストーリーなのでしょう。

また、ファンタジーな世界観をもった冒険活劇としても見れます。

しかし、個人的には主人公の鈴芽がトラウマと向きい、未来へと向かう話だと思いました。

物語の重要な要素である「常世」鈴芽の「内面世界」について考えたことがあります。

この2点は繋がっているとも見えるなあと。

そんなことを踏まえながら感想を書いていきます。

映画を見ての感想で、考察とかではないので気楽に読んでください。

※ネタバレに配慮していますが、一部ストーリーに触れるのでご注意ください。

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常世と内面世界について

物語の重要な要素である「常世とこよ」という概念があります。

常世の概念は広く、天国も地獄含みます。

「あの世」と表現するほうが、しっくりきますね。

ざっくり表現すれば「この世界ではないどこか」です。

そこでこの「常世」なのですが、これが主人公の鈴芽の「内面世界」とも見れるなぁという感想をいだきました。

なんとなく中盤頃からそう感じ、その視点で見ても違和感なく見られました。

むしろそのせいで心震えるほどに感動してしまったんです。

そんな僕の感想を書いていきます。

常世とは?

そもそも「常世」ってなによ?というわけで解説です。

常世とは?

この世界ではない世界。神々や死者が住む世界とされる神域。かくりよ(幽世・隠世)とも呼ばれる。反対語は「うつしよ(現世)」

ファンタジーでは定番の世界観ですね。

新海誠作品でもこういった「神域」は頻出します。

君の名は。』や『天気の子』でもこの「神域」は出てきました。

いずれも、美しくそして恐ろしい場所として描かれました。

それは『すずめの戸締まり』でも同様です。

『すずめの戸締まり』においては「常世」は廃墟にあるドアと繋がっています。

このドアが開くと災いが起こったりします。

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内面世界

さて、主人公の鈴芽は廃墟にあるドアの向こう側に「常世」を見ることができます。

しかし基本的に、鈴芽はドアの向こう側である「常世」に入ることはできません。

ドアをくぐっても通り抜けるだけ。

この「見ることはできるが入ることはできない」という存在が、まるで心のなか世界にも見えます

心のなかの世界すなわち「内面世界」も見ることはできますよね。

例えば、

  • 自分の感情
  • 過去のキラキラした思い出
  • 未来へのモヤモヤした不安

といったものです。

でも直接入って、思い出を手に取ることも、モヤモヤを振り払うこともできないです。

あくまでも見るだけです。

すでに書いたとおり「常世」は「この世界ではないどこか」という広い定義で考えられます。

そういう意味では、心の内側の世界も「この世界ではないどこか」と言えます。

そう考えると「常世」も「内面世界」も一緒と言えそうです。

過去と未来に向き合う

常世では色々なものがごちゃまぜなんですよね。

この世ではないものがすべて含まれるとすればさもありなん。

だから過去も未来も同様に存在しているんです。

そこで鈴芽は過去とも未来とも向き合います。

常世と内面世界のリンク

常世は内面世界とリンクして変化していきます。

その変化は、鈴芽の心情の変化とリンクしているのではないでしょうか。

どのように変化していくのか。

常世と鈴芽の内面世界をそれぞれ分けて考えてみましょう。

常世の変化

作中では何度も「常世」が出てきます。

そこは眩しい星が輝く、美しい世界です。

そこで鈴芽は、家族との思い出を目にし、時に過去のトラウマを映し出します。

美しい世界

常世は美しい世界であると表現されます。

作中でも常世を知る人達は、異口同音に美しいと語りました。

黄昏時のような紺色にも紫色、茜色にも見える空に、星々が燦然と輝いています。

地上を見れば、地平線まで続く草原が広がる。

遠く丘陵が見え、そこは空と地平が重なり交わるようでもあります。

人の心も同様です。

心は穏やかであれば、その世界は静かで優しく包み込みまた包まれるような慈愛に満ちています。

過去のトラウマの景色

そんな美しい常世ですが、ところによれば廃墟が映し出されます。

朽ち果てるとまでは行かないまでも、建物の表面は苔むして、人の手が加えられた様子はありません。

建物はいずれも近代的で、神々の住む世界としては似つかわしくないのではと疑問に感じます。

その廃墟の景色は、鈴芽の過去のトラウマそのものです。

多くの悲しみの景色でもあり、鈴芽ただ一人のものとは言えませんが。

母親との思い出

常世では時に過去の思い出も映し出すようでした。

鈴芽は過去に母親を亡くしており、兄弟姉妹もいないようです。

死別なのか離婚なのかそれ以外か、背景は分かりませんが父親は表現されませんでした。

4歳の頃から叔母の元で、二人暮しです。

鈴芽にとって母親との思い出は、かけがえの無いものです。

荒れる常世

物語の終盤、常世は激しく荒れています。

暗雲が立ち込め、地上は燃え上がっています。

常世における安定基盤がなくなることで荒れている様子です。

困難に立ち向かう鈴芽の前に常世は荒れているようでもあります。

このように作中では常世は変化していきます。

では鈴芽の内面世界はどのように変化していくでしょうか?

解説していきます。

鈴芽の変化

鈴芽の変化にも目を向けて見ましょう。

常世の扉を閉じるために、鈴芽は草太と二人で旅をすることになります。

その過程で、鈴芽は成長し過去や未来と向き合っていきます。

死ぬのが怖くない

「君は死ぬのが怖くないのか!?」
「怖くないっ!!」

物語の序盤で草太に問われたとき、鈴芽は死ぬのが怖くないと言いました。

それはもう食い気味で。

強がりでも言い訳でもなく鈴芽の心からの言葉でした。

なぜ鈴芽は死ぬのが怖くないと、はっきりと答えたのか。

それは「孤独」だからではないでしょうか。

そして同時にその「孤独から逃げ出したいから」でもあります。

本当に怖いことは独りでいることだと知っているんでしょうね。

鈴芽は周りに大切な人がいることも知っています。

でも心のうちではいつでも孤独を抱えていたんですよね。

すずめの涙

孤独はときに死をも恐れない「強さ」を生み出します。

それは時に「なげやり」とか「無鉄砲」「蛮勇」とも呼ばれるものです。

自分には何もない、大切なものなんてないという感情が、その強さを生み出します。

でも大事なものに気づいたり、大切なものが出来るとどうなるでしょうか。

その時、人は死ぬのが怖くなります。

少しでも長く生きたいと思うようになります。

それは「弱さ」とも言えます。

大事なものが大きくなるほど強くなりたいと願います。

しかし、そう願えば願うほどに人は反対に人は弱くなります。

そんな鈴芽の強さや弱さをを歌っているのが『すずめの涙』なのかなと思います。

劇中では流れない歌の一つですので、ご一聴ください。

死ぬのが怖くないと言っていた鈴芽は、過去や未来と向き合うことで、大事なものに気づいたでしょう。

少しでも生きながらえようと、少しでも大切な人といたいと願うようになります。

鈴芽が直接そう発言するシーンはありませんが、そのことはきっと草太さんが代弁してくれていますよね。

家族と向き合う

前段で勇敢で明るい鈴芽の根底には、儚くも脆い強さが存在していることを解説しました。

鈴芽が家族と向き合ったときに、その内面は変化していきます。

鈴芽にとって家族とは、今は亡き母親と、母親代わりになってくれた叔母の環です。

亡き母親と向き合う

母親との思い出は鈴芽にとってかけがえのないものです。

それ故に自分だけを残して逝ってしまった、母親に寂しさや苦しみを持って生きていたとも感じます。

その感情は、あまりに大きく抱えきれるものではなかったのでしょう。

どこかその寂しさや苦しみといった感情に、蓋をして生きていたように思います。

旅をする途中で、鈴芽は辛い過去と向き合っていきます。

叔母の環と向き合う

物語の後半は叔母の環と向き合う話でもありました。

環は4歳のころに鈴芽を引き取り、以来女手一つで育ててきました。

手の込んだ弁当を毎日作っていることから、鈴芽のことを愛情深く育ててきたことが分かります。

でも鈴芽は環の愛に感謝しつつも、そこに後ろめたさや愛の重たさを感じているようでもあります。

実の親子ではない難しさがあり、お互いにどこか無理をして接しているんですよね。

そんな環の苦しさや二人の関係性を描いた歌が『Tamaki』です。

「あなたが嫌いだった」という歌い出しから始まり、胸を掴まれます。

「私がいなくても平気よやっていけるわみたいなあなたが」という部分に、鈴芽の強さと弱さが伺えますね。

二人は実の親子ではないので、その関係性は時に親子で恋人で、姉妹で友達で赤の他人でもある。

それは「実の親子」ではないからこそ築けた、特別な関係でもあります。

物語の終盤おそらく初めて、心の底をさらけ出し真に向き合うことで、二人は成長してより信頼することになります。

ここに鈴芽の成長が見られます。

大好きになってもらう

作中で印象に残った台詞がありました。

「これから色んな人を大好きになる。」
「色んな人に大好きになってもらう。」

物語の最終盤、困難に立ち向かい乗り越えることで、鈴芽は過去と未来に向き合う。

そのときの台詞です。

大事なものと向き合うことで、強さを捨て弱さを手にしたとも言えます。

それでも恋、環との関係、心にあったトラウマすらも大事なもので、それらを手にしました。

大好きになることも大好きになってもらうことも、とても怖いことです。

  • もしかしたら裏切られるかもしれない
  • ともすれば失望されるかもしれない
  • 本当は価値のないものだと知ってしまうかもしれない

でもそうすることで、未来は明るく美しいものとなっていくんですよね。

それによって最後は常世の扉を閉めます。

鈴芽の心が荒れるほどに、常世は変化し。

誰かとの関係性に向き合うことで、美しくなっていくように思います。

余談:ミミズについて

ここからは余談です。

「常世」についてそんな拡大解釈ありなの?って思われるかもしれません。

そこで同様に重要な要素である「ミミズ」についても考えてみましょう。

この「常世」の扉が開くと出てくるのが「ミミズ」です。

こいつが出てくると良くないことが引き起こされます。

ミミズというよりは「やばそうなエネルギーの集合体」といったほうがしっくりくる見た目。

そう言われれば、なんだかもやもやしたでっかいミミズにも見えるけど。

ここで疑問なのが「ミミズ」が良くないことを引き起こすということ。

ちょっと僕の解釈を書いていきます。

ミミズも龍も一緒

ご存知の方も多いでしょうが「ミミズ」は益虫です。

ミミズがいることで作物が育ち、豊饒をもたらしますからね。

見た目ちょっとグロ目で苦手な人も多いでしょうが。

そんな豊饒の神が災いを引き起こすというのは不思議な感じがします。

結論から言うと、このミミズは「龍」に繋がります。

神話的な世界観では、ミミズも龍も一緒です。

なんなら蛇も一緒ですね。

「なんだかニョロニョロした細長いやつ」はだいたい龍と繋がります。

さらに言うと道や川も「細長くてニョロニョロしている」ので龍です。

このあたりは「ちょっと訳わかんないです」状態ですが。

作中でも文献にミミズを龍として表現している部分がありましたね。

龍脈について

このミミズがなんでドアから出てくるかの解説もありました。

地面にあるエネルギーが扉から吹き出してくるとか。

この説明はまるっきり「龍脈」ですね。

地中のネットワークをエネルギーがいったりきたりしているわけです。

神話は拡大解釈のオンパレード

ミミズも龍も同じなんだということがわかりました。

拡大解釈は神話の得意とするところです。

常世は「この世ではないどこか」なので、僕達が行けないところはすべて「常世」だと言えます。

地球の中心部(地)も、宇宙の最果て(天)も、そして人の心のなかもです。

そういう世界観だと考えれば、なんとなく納得できそうなもの。

おわりに

ということで常世と鈴芽の変化に焦点を当てて『すずめの戸締まり』を見た感想でした。

常世とすずめの内面世界には通じる部分があるのかなという程度で、矛盾する部分も大いにあります。

そういう見方もできるし、そうじゃなくてもいいと思います。

複雑な話で、考察の余白を持たせているので、どうとでも捉えられる面白さがありますね。

いずれにせよ、とても心打たれる作品でした。

そしてまた現代社会に深く切り込んでいる問題作です。

興味が沸いたらぜひ鑑賞してみてください。

ここまで書いてきましたが、ぼくの推しキャラは徹頭徹尾いい人だった芹澤くん(CV:神木隆之介)でした。

ここまで読んでもらってありがとうございました!

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プロフィール
この記事を書いた人
ふらっと

自由な暮らし「フラットな生き方」を手にするために、その行動や考え方をブログ内で発信中

・地方在住の33歳独身
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・趣味は読書
年間200冊以上の漫画・書籍を読む。本好きというだけで図書館司書資格を取得した。

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